4人の命を奪い死刑判決が下された筧千佐子。
彼女の生い立ちを調べてみると、少し同情してしまうものがあるようです。
今回は数千万円の保険金目的に次々と命を奪った筧千佐子の生い立ちについてまとめていきます!
筧千佐子の生い立ちが悲惨すぎる?
結婚相談所で知り合った男性を手玉に取り、
次々に資産を奪っていった筧千佐子死刑囚。
彼女の生い立ちを調べてみると少し同情してしまうものがありました。
- 幼少期に両親が亡くなり親戚に引き取られる
- 旅行先で出会った印刷会社社長と結婚する
- 経営が上手くいかず多額の借金を抱える
- 旦那の死後2000万円の借金が残る
- 借金返済のために犯行に至る
一つずつまとめていきます!
幼少期
筧千佐子は1946年に北九州市に生まれます。
実母が結婚していなかったことから、
出産後に親戚(山下家)へと養子に出されることになりました。
教育熱心な山下家の養子となったことで、
福岡県内でトップクラスの新学校、県立東筑高校へと進学します。
筧は「学校の先生になる」という夢を叶えるために大学へ進学しようとしますが、
義父によって潰されてしまいます。
男であるお前の兄は大学に行っていない。
女のお前が大学に行くのは許さない。
筧はこれに従い泣く泣く就職することになります。
九州大学に行ってたら、拘置所にいることなんてなかった。
それがうちの人生の分かれ目やった
筧は当時を振り返りこのように語っています。
この言葉の通り、ここから一気に彼女の人生が変わっていきます。
結婚
銀行へ就職した筧は同僚と桜島へと旅行にいくことに。
そこで1人目の旦那になる矢倉さんと出会うことになります。
筧千佐子の1人目の夫
印刷会社経営
多額の借金を残し1994年に病死
原因は不明ですが矢倉さんとの結婚は両家から猛反対されたようですが、
反対を押し切って両者は結婚します。
もしかすると大学時代の反対を根に持っていたのかもしれませんね。
その後、2人の子供に恵まれます。
多額の借金を抱える
夫が印刷会社社長を務めていることから
裕福な生活をしていると思われているようですが、現実は正反対だったようです。
多額の借金を抱えたいたようですが、
子供2人を私立大まで通わせています。
筧は自身が大学へ通えなかった悔しさを子供に感じてほしくなかったのかもしれませんね。
そして、矢倉さんは1994年に病死してしまいます。
筧には2000万円の借金だけが残ります。
「普通の生活では到底返しきれない」
このように考えた筧は結婚相談所へと登録し、保険金殺害をすることになります。
▼事件について詳しい記事はこちらから▼
【まとめ】筧千佐子の生い立ち
- 生まれてすぐ養子として引き取られる
- 義父に反対され大学進学を諦める
- 印刷会社社長の矢倉さんと結婚する
- 旦那の死後2000万円の借金が残る
- 借金返済のために犯行に至る
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